恋愛は、実に熱烈で霊感的な畏ろしいものです。
 人間の棲む到る処に恋愛の事件があり、個人の伝記には必ずその人の恋愛問題が含まれてはいますが、人類全般、個人の全生活を通観すると、それらは、強いが烈しいが、過程的な一つの現象と思われます。
 恋愛経験の最中にある時、或は何かの理由で恋愛的雰囲気に対して非常に敏感になっているとき、私共は自分にもひとにも第一、気になるのは恋愛のことばかりだと云う風に思います。けれども、じっと見るとどんな熱情的な恋愛をしている人でも、人間として他方面の必然な生活条件は満しています。生活の大河は、その火花のような恋、焔のような愛を包括して怠みなく静かに流れて行く。確かに重大な、人間の霊肉を根本から震盪するものではあっても、人間の裡にある生活力は多くの場合その恋愛のために燃えつきるようなことはなく、却って酵母としてそれを暖め反芻し、個人の生活全般を豊富にする養液にしてしまいます。

 ところが秋田から山形沿線の稲田のひろがりには、見ているうちに、一種こわいような気がして来るほどに先祖代々からの農民の労力がうちこめられている。無駄な一本の畦幅さえそこには見られない、きっちりとすき間もなく一望果ない田圃になっていて、盆地特有のむしあつさの中に、ぞっくりと稲の葉なみをそろえて立っているのである。通ったのは、丁度田舎の盆の間であったから、田圃には全く人かげがなかった。そしてその広大な稲田の全面積は、農民の人々のよろこび、それを眺めてとおる私たちのうれしさという感じとは少しちがった、威圧するような気分を与えるのであった。
 稲田は、堂々と、人間生活の労力の上に繁茂しているのに、折々汽車の窓から見えるこの辺の農家は、何と小さいだろう。しかも、稲田の広大な面積に比べて、数が少い。関東の農村のように、防風林をひかえて、ぐるりに畑や田をもった農家が散財しているという風でない。一かたまりずつ、稲田の間に木立をひかえた農家がつまっている。その家はどれも大きくない。盆地で暑いせいだろう、前庭に丸太で組んだヤグラのようなすずみ台をこしらえて、西陽のさす方へコモをたらして、そこで女が縫いものをしたり、子供がひるねしたりしていた。

 そこは広い野原で、かなたに堤防が見えた。堤防のかなたに川があるのではなく、やはり野原で、轍の跡が深く泥濘にくいこんだ田舎道が、堤防の橋の下をくぐったさきにつづいて見えた。工事のはじめから堤防は大きな空の下で弓なりに野をはい、多分愉快な自動車道にでもなるわけらしかった。革命の時、工事が中止された。それ以来いつになっても働く人間の姿は見えず、ある個所は橋をかけるように堤防と堤防とをきりはなしたまま、鉄橋はなかった。村に近いところでは、すでに堤防の砂がくずれた。未完成な堤防になれた子供たちがそこを駈けのぼったり駈け下りたりした。山羊が高いところで白い腹の毛を風に吹かせていることもある。
 ナースチャは、伯母の家へすむようになってから、ずっとこの堤防を見馴れていた。しかしナースチャ自身は、一度も堤防によじのぼったことはなかった。遠くから眺めて、時々、いい景色で心持がよいと思った。そういう気質は、ナースチャの死んだ親父が彼女のうちへのこして行ったものだ。
 野原のなかに、もう一つ動かず毎日ナースチャの目に映るものがあった。それは堤防とは反対側の野のかなたの果にある貨車の列だ。貨車は八台見えた。七月の太陽に暑そうな赫土色に光って見えた。一日じゅう貨車は動かないままでいた。それに気づいた時、ナースチャはなんだか楽しみな心持で、元気づいた。――あの貨車はいつ動き出すのだろう。このうねをきってしまうのとどちらが早いか。

 
 
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